ラベル

2013年12月18日水曜日

更年期と閉経の進化について原著論文を読んでわかったこと

Francisco Ubeda, Hisashi Ohtsuki and Andy Gardner(2013)"Ecology drives intragenomic conflict over menopause,"(pdf) Ecology letters, doi: 10.1111/ele.12208.をざっと読みました。

読んだ感想はといえば、プレスリリースの説明と論文のディスカッション両方共結果と合っていないといったところです。

シミュレーション結果であるfigure2を見る限り、メス分散(父系的)のときには、父親由来の遺伝子による閉経誘導のタイミングが、そうではない(母系的な)群をつくる場合よりも遅れるようになっています。いいかえれば父系社会において、父親由来の遺伝子の観点からすると、母親由来の遺伝子よりことさら早く閉経を促進する適応的な意義が相対的に小さい、あるいはないということになるでしょう。

逆に言えば、母系社会においてオス由来の遺伝子が閉経を促進する適応的な意義があるということになります。そのことを端的に示すのがfigure2(b)で、母系的な集団では更年期が30−43であり、父系集団の60-67よりも早く、そして長く訪れる結果になっています。つまり母系的な集団のほうが父親由来の血縁度と母親由来の血縁度の関係から、それぞれの系列にとって適切な閉経時期がおおきく異なり、しかも閉経する時期が早いということになります。寿命が90年近くあるシャチの閉経年齢が30代であり、このシミュレーションが適切なものであることを予測させます。

なお、ここでいう母系は、複数の家系を持つ群が併存しており、なおかつ外来のオスが複数のメスと継続的にメイティングするタイプということになるでしょう。あるいはオスは群れに居つかないとしても、継続的に通い続けて、歳の離れた妹なり父系的な意味での姪が群れの中に複数いる状態である必要があります。

要するに父系社会の閉経現象は寿命に比して卵子が少ないから生じるものであり、そのタイミングは卵子の残数に応じたものということでしょう。したがって寿命と卵子数の不一致がヒトの閉経における謎という事になるのではないでしょうか。

以上のことを踏まえて、プレスリリースを再度読んでみると次のように書かれています。
更年期より前では、娘が保持する両親由来の二つの遺伝子はともに娘に自ら繁殖するよう促します。反対に更年期より後では、これら二つの遺伝子はともに娘に繁殖の終了を促します。しかしながら更年期では、遺伝子それぞれが自らのコピー数を増やそうとする結果、この二つの遺伝子は娘に対し相反する命令を出すことが予測されます。父親由来の遺伝子は閉経を促します。これは父親由来遺伝子を共有する個体が周囲に沢山いるので、自らの繁殖を止め、そのような近親者の子育てを助ける方が得だからです*。反対に母親由来の遺伝子は繁殖の続行を命じます。なぜなら母親由来遺伝子を共有する個体は周囲にあまりいないので、閉経して他者の子育てに加わることは損だからです。
プレスリリース『女性に更年期が存在する進化的な理由を解明』 (強調は引用者)
繁殖において、*をつけたような現象が生じるのは、メスが分散しない母系社会の特徴です。著者たちの混乱の原因は、メスが自分の血縁者が多くいるところで繁殖するのは母系だけであるという基本的な認識を落としてしまったからではないでしょうか。確かにチンパンジーのような父系社会では、同世代におけるオスの血縁度が高いので、同世代の結びつきが強いという話があります。またオスはマザコンであるとも言われています。しかし群を出た娘の繁殖を助けるとか、群れにとどまる息子が誰かとつくった子供(孫)を育てるとか、息子と連合してアルファメイルにするとかいう話はありません。ゴリラもオランウータンも同様です。その場所から離れて血縁者のサポートが期待できない場所で繁殖するからこそメス分散です。あるいは母系社会にも性的二型があるということを失念したための論調なのかもしれません。

この結果をもって「ホミニゼーションの過程において母系集団を形成した時期があり、現生人類の閉経は適応的と言うよりも創始者効果にもとづいたものである」という主張をされたほうがアグレッシブな論文になってよかったのではないか、などと外野からの応援を述べてしめるとします。
追記(2013/12/26)
参加者のレポートを読んだので簡単に引用しておきます。
shorebirdさんも
(なお,説明はなかったが,この議論が成り立つためにはその娘自体は分散していないことが必要になるように思われる.だからすべてのメスが分散するわけではなく確率的にオスより分散しやすいという状況で,分散しなかったときに起こりうる状況だということだろう.またメスが分散しない場合には,オスの繁殖成功の分散の説明も当てはまることになる.)
2013-12-25 HBESJ 2013 HIROSHIMA 参加日誌 その3
とコメントするように、私が指摘したポイントについて発表者から言及はなかったようです。

2013年12月11日水曜日

閉経(更年期)の進化的要因についてのメモ書き


女性に更年期が存在する進化的な理由を解明』を読んで、著者の人たちに聞いてみたいいくつかのこと。(原著論文を読んだうえでの記事をアップしたので、そちらをごらんください)


・シャチやゴンドウクジラの群の構成と、成人個体の分散様式はヒト科の霊長類と全く異なるものだが、本研究で提示された仮説は前者にも適応できるものなのか?あるいはヒト科特有の条件での解明であるのか。
・娘の繁殖成功ではなく、孫の繁殖成功を優先させるのは、孫世代との近親交配を考えているのか?
・であるなら、今回のモデルは、オスの繁殖成功という観点において、娘個体それ自身の繁殖成功を制限してまで、孫世代の繁殖に貢献させるメリットは、孫やひ孫と繁殖する近郊弱性のデメリットを計量したものになっているのか
・上記に関連して、孫やひ孫をもつ壮年期・老年期のオスの繁殖成功度が、青年期や壮年期の非血縁オスより高いと考えているのか?
・オスの体格について、チンパンジーやオランウータンの繁殖成功の研究において、低順位個体による繁殖成功がそれなりに高いことが示されているが、今回これは考慮されているか?
・そもそもパン族と分岐以降のヒト属の群形態をゴリラ的なものか、あるいはチンパンジー的なものどちらを想定して分析したのか。あるいはどちらでも今回のような結論を得られたのか。


といった感じ。

2013年8月14日水曜日

藤原辰史ナチス三部作

 先月の事になるが、河合隼雄賞の授賞式が行われた河合隼雄物語賞に西加奈子氏 学芸賞は藤原辰史氏。学芸賞を受賞した藤原氏の著作は何作も読んでいるので、受賞を記念していくつか紹介したい。藤原氏の著作には大東亜共栄圏の研究もあるが、ここでは受賞作の『ナチスのキッチン』にちなみ、ナチス関連の三作をまとめて紹介する。

ただし、藤原氏の最初の著作は神智学者ルドルフ・シュタイナーが考案したバイオダイナミック農法に関わるものだが、理解しやすさを重視して研究対象の年代を順におって紹介することとしたい(期せずして単価が安い順にもなっているけれど)

『カブラの冬』はナチスの前史にあたる。第一次世界大戦(1914−1918年)、イギリスによる海上封鎖をうけたドイツに何が起きたのかというのがテーマだ。20世紀、化学肥料の普及は食料生産の向上をもたらしていたが、それは同時に肥料を国外に依存することを意味していた。三大肥料である窒素・リン酸・カリウムのうち、リン鉱石とカリウムをチリに依存していた当時のドイツは、海上封鎖によって深刻な肥料不足がおきたのだ。さらに当時の栄養学者や農学者たちは、豚を食べなければその飼料となる穀物や芋類を人の食料にまわせるので食糧危機に対応できると主張した。
こうして、ついに人類史上最大の豚の集団殺戮が始まった。「豚はドイツの第九の敵だ」というスローガンさえ叫ばれた。
保存や加工の手順を考えずに行われたその政策は、多くの豚を無残に殺しただけで終わってしまった。炭水化物とタンパク質の違いを考えないなど当時の栄養学の限界も露呈した。

そういった中で生じたのが70万とも80万ともいう餓死者を生んだ「カブラの冬」(1916~17年)である。食べ物の恨みは深い。ナチスはこの責任を裏切り者・内通者のせいであるとし、裏切り者とはユダヤ人であるとしたのだ。この戦略は功を奏し、世界で最も民主的な憲法を持つ国家といわれたワイマール共和国は20年をもたず、民主主義国家は幕をおろし、ドイツはナチスドイツへと変貌する。


この『ナチスドイツの有機農業』は長らく品切れ状態が続いていたが、昨年〈新装版〉として再販された。お値段も3990円からお買い求めやすい2,940円に値下げである

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さて、第一次世界大戦における海上封鎖の記憶に対し、ナチスドイツの取り組みは二つあった。ひとつは生存圏を確保するという事。もうひとつは化学肥料に依存しない農法の確立である。その後者の一翼を担ったのがシュタイナーのバイオダイナミック(BD)農法だった。
BD農法とは、20世紀初頭にあらわれた有機農法のひとつであり、同時代のほかの有機農法と比較して特殊なのは、謎の(神秘的な)調剤を利用した堆肥作りと、(実は伝統的な農業歴を孫引きした)神秘主義的な農業歴である。
シュタイナーは有機農業の神智学的理論付を行っただけであって、特にBDと名付けたわけではないが、シュタイナーの死後、後継者のエアハルト・バルチェとエルンスト・シュテーゲマンが、生物学的biologisch調整とエーテル的力とアストラル的(魂的)力の関係性を表現する動態的dynamischな側面双方表現するべく、シュタイナーの農業理論をバイオダイナミックbioligisch-dynamisch農法と称したという。
ただし、有機農法という発想が出てきた背景は、ドイツのように海上封鎖されて化学肥料が利用できなくなってきたことだけとはいえない。当時利用されていた農薬は土壌汚染(ヒ素、水銀、銅など)をもたらし、多量の窒素肥料の投入は土壌の酸性化、保水力の低下、害虫の大発生の原因となったと考える農学者も多かった。トラクターの導入は有畜農業離れをうみ、農家の堆肥生産する機会が減少していた。あるいは三圃式や有畜農業といった従来の技術との断絶によって、結果的に連作障害が生じていた。
 つまり当時の慣行栽培は限界が来ていたのだ。そのような中で旧来の農業への伝統回帰と神秘主義のカップリングがBD農法であり、一方で東洋(日本やインド)の伝統農業とヨーロッパの有畜農業の組み合わせをよりオープンな形で実践したのがハワードのインドール方式ということになる。
しかしナチスの幹部と接触した時、人間も自然も農場という「有機体」のひとつの要素にすぎないというシュタイナーのラディカルな「生物圏平等主義」は、ただ神秘主義である以上に人間に対して「抑圧的性格」を持ってしまった。
「生命の多様性」という言葉のなかで「人間の生活様式の多様性」が希薄になったBD農法の思想は、「人間集団に対する搾取や抑圧」を結局は認めてしまうのである。
このようなことが起きてしまった背景には、ナチズムのエコロジーはBD農法とは異なる起源を持っていたからである。
ナチスは最初少数政党から始まったことはよく知られている。しかしナチスが1932年第一党に躍り出た背景には、農村票を確保するために、収入の低下による離村傾向をとどめるべく打ち出した「ナチ党農業綱領」(1930年)があった。ナチスは「ドイツ民族の血の源泉」あるいは「遺伝的健全性の保有者」という人種主義的な意味付けをし、現体制が「生物学的・経済的な農民身分の意義を無視」していると批判した。
  なお有機農業嫌いやエコロジー思想嫌いが安直に「ナチス的全体主義と有機農業が親和性が高い」、あるいは「有機農業の否定である」という書評がウェブ上に散見されるが、そんな単純な主張はしていない。
第三帝国でもっとも普通に行われていたのは化学肥料と農薬を使ったいわゆる慣行農業である。第三帝国の農家にとってもBD農法は面倒すぎる主張だったようだ。一方でそのような極端な主張が慣行農業に対して、堆肥の重要性、菌層の重要性への回帰を促したとはいえないだろうか。


ナチスのキッチン
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藤原 辰史
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以上のように藤原辰史の三作は、ナチスの農業史・農業政策史という観点から、その起源(『カブラの冬』)と政策上の問題と農家の農業実践の実態やその理論(『ナチスの有機農業』)というだけにとどまらず、さらに消費者サイドからも読みなおす(『ナチスのキッチン』)という、20世紀前半のドイツ社会の全体像を見せてくれる優れた作品であり、それを一人の研究者が行ったというだけで特筆すべき業績だと考える。
以上簡単に三作を紹介した。ぜひ書店や図書館で手にとって読んでみて欲しい。

2013年6月29日土曜日

8つのボールから重さの違うボールを1個を識別せよ

ツイッターで次のようなものが流れてきた。
あなたは同じサイズのボールを8つもっています。
そのうち7つは同じ重さですが、1つはほかのものよりもわずかに重いです。
秤を2回だけ使ってこのわずかに重いボールを見つけるには
どうすればいいですか

入社試験・面接試験の奇問難問をまとめてみたぜ
ひと目で解けてしまった(8つの球を3,3,2にわけて測る)のだけれど、記憶によれば、この問題のオリジナルバージョンは求めるボールが軽いか重いかわからなかったはず。となると上述の問題とは異なる解法が必要。ただ、天秤をつかう回数が2回なのか記憶にない。どうだっけ。
まず上述の問の場合
  1. 3,3,2にわける
  2. 3と3で秤にかけて比較し(1回目)、釣り合えば残した2個のボールのどちらか(a)。吊り合わなければ、重たい3つの中にある(b)
  3. (a)の場合
    二つを比較し、重いほうが求めるボール(2回目)
    (b)の場合
    三つのボールのうち二つを比較し(2回目)、一致すれば残りの1個。吊り合わなければ重いほうが求めるボール
しかし、求めるボールが重いかどうかわからない場合、(a)なら二つまで特定できるけれど、その二つを比較するだけでは、重いほうか軽いほうかわからない。
そこで工夫をしよう。残りの6個は等しい重さのボールであることがわかっているのだから、そのうち1個と二個のうち1個を比較すれば、(b) のケースと同様なやりかたで特定できる。
  1. つまり秤にかけて(2回目)等しければ、秤にかけていない残りの1個が求めるボール
  2. 6個のボールから選んだものと、2個のうち1個が等しくなければ(2回目)、重くても軽くても後者が求めるボールである。
(b)の場合、重さがわかっているボールは量っていない2個だけで、求めるボールは6個の中に。問は6この内1個が重さが違うというレベルでとまっているように思われるかもしれない。 しかし3つにグループ分けしたという情報と重さが明らかになっている2個のボールは利用できる。

  1. そこで一回目にグループ分けした3つの組をαβと識別し、それぞれのボールをα(1,2,3)、β(1,2,3)と識別する。
  2. 天秤にのっている三つからα3とβ2、β3を取り除き、重さのわかっている2つをβグループに、β2をαグループに追加する(2回目)。
ここで分岐は次のようになる。

  1. α(1,2)とβ1のうちにあるのならば傾きはかわらない。
    →α1とα2で比較する[ただしαグループが置かれた場所にα1、βグループが置かれていた場所にα2を置く](3回目)
    →答えがα1なら最初の傾きが変わらず。α2なら傾きは変わる。β1なら釣り合う
  2. 2回目の計量に関与していないα3、β3のどちらかなら二回目の計量はつりあう。
    →α3と重さのわかっているボールを比較(3回目)
    →α3なら傾き、β3ならつりあう
  3. 2回目に場所が変わったβ2なら傾きがかわる
このように秤の左右性を考慮すれば少なくとも3回で特定できそうである。

2013年6月19日水曜日

木村秋則さんのじゃがいも栽培

木村秋則さんについて色々調べているとウェェと思うことが少なくありません。彼はホラ吹きだし、オカルト好きだし。

そんなわけで以下のような記述を見つけた時どうなんだろうと思いました。
デメターの有機栽培をチェックしていくと、ひとつ、決定的な要因が欠けていました。わたしはキッパリいいました。
「あなた方のジャガイモが小さいのは、土の温度が低いからです」
地中の温度を測って考える
実際にデメターの畑に穴を掘って温度を測ると、わずか10センチ掘っただけなのに地表面よりも8℃も下がりました。どんな野菜も冷たいところは嫌いなのに、その冷たいところに、深さでいうと10.5センチの地中にタネを蒔いたため、ピンポン球の大きさまでしか育たなかったのです。大規模農場でタネを蒔く場合、機械の都合でそのくらいの深さになってしまうわけです。

(中略)

わたしは、彼らが10~15センチぐらいの深さにジャガイモを植えたのに対して、5センチ掘っただけの浅いところに埋めました。浅く植えるのは機械では無理なので、すべて手作業ですが、土のなかの温度がどれほど大切かを知っていれば、それは当然です。
木村秋則さんの自然栽培

これは木村さんがヴィオディナミという一種の有機栽培の認証機関であるデメターに招かれてドイツに講演旅行した時の話です(ビオディナミについては後日)。自然栽培だからじゃがいもが小さくて当然だという、デメターに対して、木村さんは育て方が悪いと指摘したんですね。これをTLにつぶやいたところ、これを読んだ道良寧子さんが
バカだなぁ。
ジャガイモを浅く植えればソラニンを生成するのに・・・ https://twitter.com/doramao/status/344464371822522368
とかかれ、ごもっともと思ったわけです。(ソラニンについてはじゃがいものソラニン中毒についてをお読みください) 

なにか変わっていることをしているのかもしれないと思っていたのですが、浅く植えてもソラニンが出ない方法についてはわかっていませんでした。しかし先日木村さんの土の学校 をパラパラ見ていたら当該の記述を見つけました。私は(おそらく道良寧子さんも)はてっきり
サカタのタネオンラインショップ:じゃがいもを育てようより

こんな感じにして浅植なのかなと思っていたわけですが、全然違いました。上のイラストのじゃがいもの種芋は切断面を下にして、芽が上になるようにして植えていますが、木村式は逆に切断面を上にし、まず茎を下に伸ばすことで芋が生える茎が地中にもぐるようにしているとのこと。

つまり旧来のやり方では種芋から地上部までの土の中で芋ができるので、深く埋めざるえないのですが、種芋のしたに小芋がなるのなら浅く植えることができます。これなら浅く植えたのも納得です。

さらにこの技術すごーく雑誌現代農業ぽいとおもったので検索したところヒットしました。

月刊 現代農業>2012年4月号>●巻頭特集 技あり! 植え方でガラリッ ジャガイモ逆さ植え しかも覆土不要!植え付けも収穫もラク、ソウカ病に強い というそのものズバリどころか、さらに一歩上行く栽培技術が紹介されておりました。黒マルチを使って、さらに土の温度を高めるなどポイント高いですね。

なお上述の『土の学校』については、このじゃがいも栽培以外、チェーンを使った水田の除草技術くらいしか見るべきところが無いので、現代農業の記事「チェーン除草機どんどん進化中」のほうがためになります。

木村さんも技術を小出しにして講演商売するよりも、どんどん公開したほうがいろんな人が工夫をして新しい技術が生まれてくるのではないかと思いますし、そのほうが百姓として本望じゃないのかなと思います。

そんじゃーね。

2013年6月18日火曜日

書評『すごい畑のすごい土 無農薬・無肥料・自然栽培の生態学 (幻冬舎新書)』

映画『奇跡のりんご』の公開に刺激され、さまざまな方たちが木村秋則さんの自然栽培、とくにりんご栽培や生産物の安全性などについて、さまざまな議論を提出しています。

わたしもtogetterで、焼き畑農業研究者からみた木村秋則さんの農業についてというものをすでにまとめたものがあるので、興味があるかたはごらんください。

さて、いろいろ見ていきますと、数年前話題になった時には気づかなかったりんご農家によるコメントなども発見し、大変興味深いものもありました。とくに工藤りんご園話題の“無農薬りんご”についてに掲載されている、放置園のりんご写真は非常に興味深いもので、なんらかの地形条件・水条件さえ整っていたら真に無農薬・無施肥でも「商品にならないようなりんご」ならば十分に再現可能であるという重要な例だと思います。

しかし工藤さんは木村さんの書籍を十分に読んでいないのか、重要な点を見落としているように思えます。

それは木村さんは最初の10年間ほどりんごの無農薬・有機栽培を試みており、堆肥などを施肥していたということです。もちろんここでいう無農薬とは、木村さんの表現であり、食品(焼酎、にんにくなど)の農薬転用を試みていたということです。また大豆などをまき、緑肥にしようとしていたことも書かれているので、使用している農薬の種類をのぞけば、かなり畑に対して通常の農業に近い試みをしていたと言えるでしょう。また無農薬に転換する直前、年一回だけで薬を散布する減農薬を実践していたことも明記しています。このことは放置園のりんごとはまったく条件が異なっています。

つまり、10年くらいろくに花も咲かなかったというのは、「いろいろな試行錯誤をふくめた畑への介入」+「初期農薬の不使用」の賜物ということになります。おそらく30年以上前、当時は放置園というものがほぼなく、「ほっとけばろくでもない実がなる」という観察がなかったゆえの結果でありましょう。

(まあよくいえば。これ自体が堆肥等の有機肥料との差別化のためのモノガタリなのではないか、という疑いは晴れません)

しかし無農薬でりんごが作れるとして、商品価値を持ち、それなりに量を生産するにはなんらかの技術があり、そのための農学的な裏付けがあるはずです。そこで今年発売された以下の本を読んで見ることにしました。
著者の杉山氏はここ10年木村さんの畑の調査をされているそうで、奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)でもコメントをしていまた。

すでにツイッターでコメントしているのでもう一度書くのも気が引けますが、見事に肩をすかされました。木村さんの農園についての新規の情報がわずかしかないので、800円がもったいないです。10年でこれかいな。という気がします。

にもかかわらず「自然栽培」が素晴らしい農業であると主張するために、調べたらわかることさえ示さずに推論の限りをしています。

もしかしたら幻冬舎の小出し商法なのかもしれず、非常に癪なので、この『すごい畑のすごい土』に書かれてあった具体的な情報と、おそらく将来出てくるであろう情報を推測して、私見ながら現時点で明らかなことと、明らかにすべきことを書いておきます。

『すごい畑のすごい土』であきらかになったこと

  • 木村さんのりんご園内の昆虫の種数が、よそのりんご園より多い(統計処理なし)
  • 木村さんのりんご園の下生えの種数が、よそのりんご園の倍(統計処理なし)
  • 木村さんのりんご園の窒素含有量は、よそのりんご園より多い(統計勝利なし)
  • 木村さんのりんご園の土壌中の微生物料は、よそのりんご園より多い(統計処理なし)
  • 木村さんのりんご園のりんごの葉は、病害や虫害にあっても穴が開くだけで落葉することケースが少ない
統計処理がなというのは、どういったサンプリングをしたのかという記述がない上に、経年変化についての情報がないということです。

推論がされたところ

  • 土壌中の微生物が多いので、窒素が植物に使用されやすい形にされやすいだろうから、収量が落ちない
  • 無農薬だと植物本来の抵抗性が高まって病気になりにくいだろう
  • 多様な下生えという環境によって昆虫の多様性が高まっただろうから、害虫と益虫のバランスが収穫に適するレベルで保たれているのだろう
  • この平衡状態のためには慣行栽培や有機栽培ではなく木村式の自然栽培が適しているのだろう
いろいろ残念ですねえ。本文中に植物栽培には窒素リン酸カリが必要です、と言っておきながら、無施肥で営農が可能である理由として多少なりとも明らかにしたのは窒素だけというのは非常に中途半端です。しかも、多い理由を証明するのではなく、推測で済ませていますし、窒素が多くても他の農園より小ぶりで甘さが控えめな理由もコメントしません。十年調査しているのだとしたらなおさら、なんらかの方法で検証する必要があると思います。

まあわたしなら土壌分析はするし、鳥類の糞によるリン酸・カリウムの供給を計測するか、少なくともその代替指標として、鳥の訪問数と滞在時間を計測し、昆虫の種数との関係を指摘しようと思います。たとえ相関が得られなくても有益な情報だと思います。

また杉山氏は、虫と雑草の種数の多さを代替指標とすることで、生物間相互作用の豊かさであるとし、ハダニなどの害虫の被害が抑制されたことを主張しようとしていますが、全く説得的ではありません。きちんと計測して、どのような水準で平衡状態にあるのかを示さない限り、推測できると言われても納得できるものではありません。 病気についていえば、散布している希釈酢とワサビ資材の影響を検証せず、なんとかなっているとか書かれていてもどうしようもありません。なにかを調べた痕跡もなく推測されても、評価を下げるだけです。

そしてですが、そもそも木村さんの農場がどのような環境なのかよくわかりません。谷筋にあるのか、尾根にあるのか、平坦なのか、気温・湿度・地下水・降水量の年間推移といった基本中の基本がないまま素晴らしい、とか言われても何が指標になり得るのかよくわからないのです。

 木村さんの自然栽培はお弟子さんが再現している、あるいはりんご以外の作物がつくれているから再現性のある農法だ、という主張をする前に、大学の農場なり、放置農場を借り受けて再現実験なりをするのが科学者としての勤めではないか?そのように強く思い、移動のおともにと買った本書は実家に放置してきました。

2013年5月3日金曜日

オルド自由主義についてのメモ1

概説

オルド自由主義は、新自由主義(ネオリベラリズム)の源流の一つとして知られる、20世紀のドイツで発展した経済思想だ。そこにおいて提唱された経済政策は、戦後西ドイツの復興に寄与したことで知られる。もともとヴァルター・オイケン(1891 - 1950)が学術雑誌「オルド」の創刊に関わったこと、また「秩序政策 Ordnungspolitik」という政策手段を通じた国家による市場介入によって,競争秩序の実現をはかり,ひいては個人の政治的・経済的自由を実現しようとしたによって、”オルド”自由主義の名前を冠している。

戦後ドイツの経済政策の主導的原理を「社会的市場経済 Soziale Marktwirtschaft」といい、リスボン条約(EU 条約)第3条3項でもこの「社会的市場経済」が EU の目的の ひとつとして条約上に明記されたことから、注目を寄せている向きがあるようだ。オルド自由主義が形成されたのは1930年代のフライブルク大学で、フッサールの影響も受けているという。

戦後西ドイツにおいて、アルフレート・ミューラー=アルマックやルートヴィヒ・エアハルトらがオルド自由主義に強く影響を受けた社会市場経済という概念を打ち出し、具体的にはコンツェルン解体と反カルテル政策を柱とする競争制限禁止法がようやく最終的に連邦法として制定した。

方法論的な特徴

  • 純粋数理モデルアプローチと歴史的アプローチ、とくに発展段階論と経済様式による分析に対する徹底的な批判を行い、結論的に、方法論としての「経済秩序」に対する規範的分析を中心に据えるべきであるとする。
  • 日常における経済現実を正確に観察することから経済学的な主要問題を生成すべきとする
  • 市場経済システムのなかの経済権力間の関係性を解明できる一般的な経済理論


なにやらエスノメソドロジーぽい人たちですねw

主要概念

経済権力

オイケンは、日常的に展開される経済を観察することで、資本主義経済といわれる領域は、自由な競争が行われている自由市場ではなく、”自らの権益を守ろうとして市場を支配しようとするにとどまらず,場合によっては自己の利益を図るために国家に干渉するような私的な「経済権力グループ」の存在”を見出した。

”資本主義”概念批判

「資本主義がなにかという問は”物格化され,対象化され,あるいは人格化されている”ので、既存の経済学は現実の研究から逃避してしまっている。観察者は実現された市場形態を研究すべき」とする。また、「資本主義の概念は、経済の秩序構造に関してなんら確実なものを表明するものでないから,したがって経済的現実態を表示するには適当ではない。各人は、自分だけに都合のよい秩序概念を、資本主義の中に盛り込む」。
このようにオイケンはは近代経済の秩序構造を表示しないゆえに,理論的分析の基礎として適当ではないとしている。

マルクス批判

所有権から考察をするマルクスを批判し、経済形態を中央管理型経済と自由市場経済(市場経済)に分類し、生産手段を社会的に所有しても問題は残るとした。つまり社会問題は所有ではなく、経済過程の制御をどのようにするのかという観点からマルクスを批判した。

中央管理経済批判

(1)中央機関が十分な経済計算を実施することができない(2)そのため生産の調整はできるが、経済計算ができないために需要と供給の計算がうまくいかない。(3)その結果人間のもつ自由が消え去り,奴隷国家になってしまう。

自由放任主義批判

自由放任経済は、結局自由な競争というより、さまざまな連合によって、競争が阻害され、カルテルやコンツェルンによるおびただしい独占・寡占をもたらす。それは1932年以後のアメリカとドイツの経済史が示したように,「自由な市場」の失敗から中央管理経済への傾倒が生じた。

参考文献

  • 黒川洋行(2010) ヴァルター・オイケンとオルド自由主義の経済政策, 経済系 : 関東学院大学経済学会研究論集 249(-), 36-55, 2011-10 関東学院大学経済研究所 cinii